大切な人たちと過ごせる時間もまた短い

えりぃです。

もう今年もあと少しですね。

今年もいろいろありました。

実は今年、我が家は喪中です。

祖父が亡くなりました。

葬儀に出席をして、

親戚に会って、

久々に祖父母のおうちへ行って、

そこでだんだんと実感したことがあります。

本当に時間というものは平等で

でも、どこか勘違いしていたんです。

祖父母のおうちに行ったら

変わらず、祖父母が出迎えてくれる。

当たり前のような空気感があったのに

玄関を入ってあったのは

思い出だけでした。

この壁紙、夏休みに帰るときに見た思い出がある。

この部屋でマンガをいとこと読んだ。

このコップで夏休みに麦茶を飲んだ。

この縁側から雪を見た。

でも、そこに祖父はいません。

祖母ももう数年前に他界していません。

自分が産まれたときからずっといた人が

またひとり、いなくなりました。

もうこの家は祖父母の家ではないんです。

そう思うと、

前に会ったのはいつだったんだろう。

お金がない、お金がない、と言い

遠くの祖父母のもとへ足を運んでこなかったことを

後悔しました。

ひ孫が産まれたことをすごく喜んでくれていたのに

顔を合わせられたのは

右手で十分数えられるほど。

もっとできたとことがあったのではないか。

そんな思いがあふれてきました。

もう会えない。

これだけが浮かんで浮かんで

時間の流れの怖さも感じました。

祖父母が亡くなったということは

次は年齢から行くと

自分の親です。

今、親とは離れて暮らしていますし、

頻繁に会えるわけではありません。

いつか会えるから、また今度。

今はちょっと大変だから、落ち着いたら。

そのいつか、は、いつなのか。

落ち着いたら、は、いつなのか。

子供と一緒にいられる時間が短いように

親、兄弟と一緒にいられる時間もまた短いのです。

1年に1回だったら、あと20回しか会えないかもしれません。

その20回で、自分の後悔のないように過ごせるでしょうか?

子供の成長が止まらないように

親、兄弟との別れへの時間も止まりません。

特に元気なときに会おう、と思ったら

もっと短いかもしれません。

その貴重な時間を

パートでお金を稼がないといけないから、と

ふいにしてしまっていいのでしょうか。

シフトが入れなかったら居づらくなるから、と

貴重な時間を無駄にしないでしょうか。

パートすら見つからず、

内職で少しのお金のために多くの時間を割き、

親が病気の時にも駆け付けられない、

そんな未来が

ネガティブな妄想ではなく、

現実に起こりうるんです。

また、そんな親の姿を見た子供は

どう感じるでしょうか?

あぁ、仕事のためなら、

病気の時に行けなくても仕方ないんだ。

おばあさん?

おじいさん?

あんまり会ったことないから興味もない。

祖父母がいるから、

親がいるから、

今の自分がいる。

そのことにも感謝も出来なくなっていく、

そんな未来も現実に起こってきています。

お金が生み出すのは

時間のゆとりだけではありません。

心の平和もまた生まれるのです。

あくせくお金がないことに悩んでいる、

その時間すらもったいない。

その貴重な時間で

たくさんのできることがあって、

そのお金があることで

行動の選択肢の幅も広がるんです。

大切にしたい人たちと過ごす時間を作ることも

可能となるんです。

人は生まれたときから死に向かって歩いています。

「いつか」では遅いのです。

コメント

  1. なあちゃん より:

    こんにちは☆
    また遊びにきました(^^)/

    >玄関を入ってあったのは思い出だけでした。
    これは涙が出そうでした(;_:)
    >シフトが入れなかったら居づらくなるから
    すごくわかります!

    まわりの理解がもっともっと広まればいいのになぁと思います。
    わたしも受け入れられる人になりたいです(*^^)v

    • えりぃ より:

      なあちゃんさん、こんばんは(^^)
      コメントをどうもありがとうございます。

      もういない祖父母のおうちに入ったときに
      改めて、もういない、会えないと実感しました。

      たまらないです。

      お仕事をしていると、お互い様の部分が多々あるはずなのに
      自分に余裕がないと、受け入れられなかったりしますもんね。

      主婦が働くのは特に大変です。